風のローレライ


第4楽章 風の落葉

7 ローレライ


車は夜の道を走り続けた。
窓に映るのは知らない街。どれくらい走っているのか、感覚がつかめない。いつもみたいに風を感じない。囲われた車内では、息をするのも難しい気がした。
忍は怒ってるだろうな。せっかく、少し仲良くなれそうだったのに……。
リッキーはお守りに気がついただろうか? それだけが心配だった。あれは、わたしにとって精一杯の助けてという言葉だった。もし、それがだめだったら……。

「震えてるね」
先生が言った。
「怖いの?」
車の中は、花の甘い匂いで満ちていた。フロントガラスの隅には吸盤で留められた小さな籠があって、中には白い花がたくさん入っていた。わたしがそれを見ていると、武本が言った。

「茉莉花だよ。一般的にはジャスミンとも言われている。その香りには心を落ち着かせるとか、安眠とかの効果があるんだ」
先生はそう言ったけど、わたしの心はとても落ち着きそうになかった。
「花言葉は愛らしさと温順。君に似合ってるだろ?」
何よ、それ。
「他には?」
「官能的」
きかなきゃよかった……。

でも、黙っていると不安になる。あちこちから伸びた闇の手が、わたしをつかまえようとする。だから、声を出してきいた。
「どうして、花にこだわるんですか?」
「子どもの頃からずっと植物図鑑ばかり見ていたんだ」
前方の闇を見据えるように武本が言った。

「3つの時、僕は養子に出されてね。その図鑑は別れの時、大切な人がくれたんだ」
住み慣れた街が遠くなる。先生は前方を見つめたまま言った。
「でも、養子に行った先で、その図鑑を破り捨てられてしまった。だから、自分で描くことにしたんだ」
夜はどこまでも続いていた。街灯の数を数えていると、また先生はぽつぽつと語った。

「意識して闇の風を使ったのもその頃だった」
「闇の……」
遠くで警笛が鳴っている。
「言っただろう? 僕もいじめられっ子だったんだって……。僕はその家の家風になじめなかった。ある日、酷い暴力を受けてね、それで闇の風を使った」
先生はヘッドライトが映し出す道の向こうを見て言った。

「それで?」
何だか恐ろしい気がしたけど、きかないわけには行かなかった。
「その家の者達はみんな能力者だった。でも、僕の方が力的には上だった。だから、みんな消したよ。気にいらない奴はみんなね」
先生はバックミラーを見て言った。
「みんな……」
わたしは熊井達のことを考えていた。あいつらはどうなってしまったんだろう。その行く先を、先生は知っているんだろうか。

「春、暴走族の少年達の失踪事件があっただろう? あれには闇の風が関与していると僕は考えている」
先生は見透かしたように言った。知ってるんだ、あのことを……。でも、それ以上何も言わなかった。闇はどこにでも潜んでいる。もしかしたら体の中にも……。
「闇の風に消された人はどこに行くんですか?」
わたしはずっと疑問に思っていたことをきいた。
「夜の国へ……」
そう言うと先生はハンドルを切った。いきなり横道からバイクが飛び出して来たからだ。

その顔を見て、わたしは驚いた。
平河!
彼は窓越しにあのお守りを振って見せた。

よかった。リッキーが気が付いて連絡してくれたんだ。
「付いて行く」
それを見て武本が言った。
「えっ?」
わたしは思わずその顔を見た。
「茉莉花のもう一つの花言葉だよ。君も僕と同じ匂いがする。同じ悲しみを宿した風の中にいる。そんな気がするんだ」

「車を止めてください」
わたしが言うと、先生は黙ってブレーキを踏んだ。
「戻って来るね?」
ドアを開こうとしたわたしに武本は静かに言った。
「もし、戻らなかったら?」

振り向くと、先生は前方を見つめたまま言った。
「言ったろう? 君も僕と同じ悲しみを持っていると……」
「卑怯者!」
わたしはそう言うと、急いで外に出て、後方に向かって走り出した。

車から10メートルくらい離れた所にバイクは止まっていた。
「アキラ、大丈夫か?」
平河がバイクから降りてきいた。
「平気。でも、いっしょには行けないんだ」
「何でだよ? 助けを求めたからこそ、このお守りを託したんだろ?」
「そうだけど……。でも、行けないの」
頭上ではまた、あの虫の声が響いている。

「脅されてるのか?」
平河は真剣な顔をして言う。でも、わたしは頭を振った。
「行かせない!」
彼はいきなりわたしを抱き締めた。

「あいつは危険な奴なんだろ? おまえの友達を妊娠させたって……。もしも、おまえがそんな目に合ったら……おれは一生後悔してしまう。だから……」
「平河……」
涙が出そうになった。でも、今はだめだ。先生はシートにもたれて、こちらを見てはいなかった。でも、気づかないはずがない。バックミラーでこっちを見てるかもしれない。

「乗れよ」
平河がバイクを示す。わたしは少し考えてから言った。
「ねえ、頼みがあるんだ。矢崎達にも協力してもらって、あいつを見張ってて欲しいの。そして、わたしが合図したら警察に通報して。現行犯ならあいつを逮捕することが出来るんでしょう?」

「それっておまえが囮になるってことじゃないのか?」
平河が驚いて言う。
「しっ! 聞こえたらどうすんの? いい? 時間がないんだ。忍のためにも絶対やんなきゃ……。この先、ずっとあいつの影に怯えて暮らすなんてまっぴらだよ! だから、お願い。協力して」
わたしは早口で言うと平河からお守りを返してもらった。いざという時には窓からそれを振るか外に落として合図すると伝えた。

「無理はするなよ?」
「あんた達こそ、絶対ドジ踏まないでよ」
平河がうなずいたので、わたしは急いで車に戻った。そして、何毎もなかったような顔をして助手席に乗るとドアを閉めた。

「話は済んだの?」
先生がきいた。
「はい。落としたお守りを届けてくれただけですから……。それに、先生が言ってたこと、募金のお金を寄付するって他のみんなにも伝えといてって頼んだんです」
「そう」
武本は特に疑ってはいないようだった。
そのまま車を発進させて家に向かった。
平河は途中まで後に付いて来た。でも信号の所で車を追い越して角を曲がった。反対側から来た明彦と浜田にバトンタッチしたみたい。それからも何人かの仲間達が入れ替わりながら車の後を追い続けた。みんなたのもしい連中だ。これなら、きっと上手く行く。わたしは平河にもらったお守りを強く握った。


その家は静かな住宅街にあった。
暗くてよくわからないけど、大きな石垣がある。そういうのは金持ちの家なんだって前にバカ親が言っていた。先生もやっぱいい家の坊ちゃんなんだ。養子に出されたって言ってたけど……。
表札には武本とだけ書かれていた。
「学校には僕が車で送り迎えしてあげよう。ここからじゃ遠いし、バス停からも離れてるんだ」

門も古くて立派だった。大きくて重そうな鍵を開けて、武本はわたしを呼んだ。
見かけは古いけど、中はきれいな床と壁紙が貼ってある。玄関にはお店にあるような立派な生け花も飾られていた。

「おいで。ここが君の部屋だよ」
廊下の奥にあるドアを開けて武本が言った。
「すごい……!」
ベッドに掛かったカバーは3段もあるフリルが付いていたし、まるいガラスのテーブルにはレースが掛けられ、花が籠に入れられている。机や箪笥、壁に付いたフックでさえしゃれた彫り物がされていた。それに広い。

「どう? 気に入った?」
「あ、あの、わたし……」
わたしは思わずあとずさりした。触れたら汚してしまいそうで怖かった。
「好みじゃない物でもあったかな? いやなら言って。取り替えてあげよう」
「いえ、そうじゃなくて……」
失敗したと思ったのだ。ここからじゃ、平河達に合図が送れない。

石垣は思ったより高く、家は敷地のずっと奥に建っていた。しかも部屋は道路に面していない。窓から外に合図することは出来ない。
でも、何とかしなくちゃ……。

「家の中を案内しよう」
家は平屋だったけど部屋は6つもあったし、専門の庭師や通いのお手伝いさんがいると聞いて、わたしはますます落ち着かない気がした。他に家族はいないみたいだし、じゃあ、夜は二人きり?
「今夜は疲れただろう? もう遅いし、シャワーでも浴びて休むといいよ」
確かに疲れてたけど、眠れそうにない。

その時、玄関チャイムが鳴った。武本は壁のモニターを確認して言った。
「西崎さんだ。こんな時間にどうしたんだろうね?」
モニターに映った彼女は暗い顔をしていた。背後には矢崎のバイクも映っている。合図するまではだめだって言っといたのに……。何で忍まで来てるの?
頭の中に、樹上で鳴く虫の声が響いていた。
見えない闇の風がモニターの向こうでうごめいている。玄関に向かう武本。ざわつく胸を押さえながら、わたしはそのあとに付いて行った。

「こんばんは、西崎さん。僕に何か用?」
ドアを開いて先生が言った。
「わたし、どうしても納得が行かなくて……。もう一度きちんとお話したいと思ったんです」
忍は思い詰めたような表情で言った。
「そう。じゃあ、中に入って」

先生は忍の前にスリッパを出すと背中を向けてリビングの方へ歩き出した。忍はゆっくりとした動作で靴を脱ぎ、先生が用意したスリッパに足を入れた。それから、静かにそのあとを追う。何だか変だ。動きがいつもとちがってぎこちない。
「先生」
忍が呼んだ。
「何?」
武本が振り向く。リビングの入り口の所だった。忍の手にはナイフが握られていた。

「だめ!」
わたしはとっさに忍の手をつかんだ。でも……。
「信じてたのに……!」
悲痛な叫びと共にナイフは武本の脇腹に深く食い込んでいた。流れ出た血がわたしと忍の手を染める。武本は一瞬驚いたような顔をしてわたし達を見た。でも、そのまま崩れるように床に倒れて動かなくなった。

「わたし……わたしは……」
忍はわなわな震えながら膝を突いた。
「武本先生!」
忍はその体にすがって泣いた。
「どうしよう! 殺すつもりじゃなかったの! ただ、脅すつもりでナイフを……! なのにこんな……! ああ、もう、おしまいよ! わたし、取り返しのつかないことを……。人を殺してしまった! 武本先生を……。おしまいだわ!」
忍は半狂乱になって泣きわめいた。

「ちがうよ」
わたしはその肩に手を置くと静かに言った。
「あんたが殺したんじゃない」
びくっと震えて忍が振り向く。その目は怯えて宙をさまよっていた。

「そうだよ。あんたは何もしていない。忍は脅しただけなんだ」
「何も……していない……?」
忍は振り乱した髪を直すこともせず、じっとわたしを見つめた。
「わたしが殺ったんだよ」
背筋に走る冷たいものが何だったのかわたしは知らない。でも、このままじゃ忍がだめになっちゃう。傷付けられて、赤ちゃんを取られて、その上こんな……。きっとこのままじゃ忍は死んでしまうかもしれない。そんなのはいやだった。早苗ちゃんが死んだばかりなのに、この上まだ、誰かが死ぬなんて……。とても耐えられない。だから……。

「わたしが殺ったんだ。そうだよ! わたしが……。あんたのナイフをこいつの腹に押し込んだの。だって、いやだったんだ。無理やりこんな所に連れて来られて、二人きりで夜を過ごすなんて……。すごくいやだったから……。こいつに消えて欲しいと思ってたから、丁度よかったんだ。あんたがナイフを持ち出したから、そこに手を乗せて、刺したんだ。だから、あんたは何もしていない。殺ったのはわたし。わたしなんだよ」
「でも、血がこんなに付いて……わたしは恐ろしくて……恐ろしいわ……闇が……自分が……」
「大丈夫だよ。だって、あんたは殺ってないんだから……。だから、早くここから出て行くんだ。お嬢様のあんたにこんなことが出来るはずないんだ。闇はわたしが背負うから……。あんたは光に向かって行けばいい。ほら、立って! 外には矢崎達もいるんでしょう?」

「でも、あなたは?」
「わたしはどうにでもなる。だから……行きなよ」
「でも……」
「あんたは何もしていない。何も見てない。いいね?」
ぼうっとしてる忍を玄関に引っ張って行くと重いドアを開けた。そして、矢崎を呼んで言った。

「いい? 出来るだけ早くここから遠くに行って! あんた達は何も知らないってことにするんだ」
「その血、どうしたんだよ? 中で何があった?」
矢崎がきいた。
「何もないよ。だから、早く忍を連れて行って! そして、あんた達も出来るだけ遠くへ行くんだ。今すぐにだよ」
石垣の外に止まっているバイクの連中にも聞こえるようにわたしは言った。
「わかった」
矢崎は震えている忍をバイクのうしろに乗せるとすぐに出発した。


わたしは急いで家の中に戻った。一応、救急車を呼んだ方がいいのかな? それとも警察に……? そう思ってリビングの前に来た時、わたしはあまりのことに足がすくんだ。床には大量の血が流れていた。にもかかわらず、そこには武本が立ち上がってわたしに向かって微笑んでいた。
「そんな……!」
死んだんじゃなかったの? そうでなかったとしてもこの出血……。動けるはずないのに……。
「西崎さんは帰ったの?」
先生がきいた。わたしは震えるようにうなずいた。すると武本は笑ってこう言った。

「ああ、いいね。さっきのはなかなかに刺激的だった……。久々に高ぶったよ」
刺激的? 何なの? この人……。怖い……!
「怯えてるの? 何ていい表情をするんだ。うれしくなっちゃうよ」
服にはまだ血が染みていたけど、傷などなかったように武本は平然としていた。

「ああ。僕くらいになるとね、これくらいの傷は何ともないんだ。治癒力が高いんだよ。でも、少し鉄分が足りなくなっちゃったかな? ねえ、君のエナジーを分けてくれる?」
「エナジーって……」
先生はわたしをつかまえ、体を密着させると足を開かせ、股間をすり付けて来た。
「いや! やめて!」
「いやだって? 君が挑発して来たんじゃないか。僕だってがまんしてたのに……。君が欲しいよ。ああ、君のすべてが……」
床に押し付けられ、ボタンを外された。
「いやあああ!」

「アキラ!」
その時、廊下を駆けて来る複数の足音が聞こえた。
平河がわたしの上にいた武本を殴り飛ばした。
「離れろ! この獣め!」
続いてやって来た連中も口々に叫んだ。

「てめえ、よくもおれ達の戦女神にそんなこと……!」
「屑野郎!」
「ぶっ殺すぞ!」
浜田や明彦、それに今井も、みんな駆け付けて来てくれた。玄関から入りきれなかった者達は部屋の窓ガラスを叩き割って来た。リビングの窓も壊された。そのせいで風が家の中を渡って行った。

「僕の楽しみを邪魔するなんて悪い子達だね」
武本が軽く手を上げた。すると、室内にあった風がすっと動いた。それは暗い地の底から噴き上げて来るような冷たい風だった。その風に飛ばされて、大蛇神の連中はことごとく壁や床に叩きつけられて転がった。
「大蛇神だって? 力のない者に神を名乗る資格はないよ」
今井の近くにあった旗を見て武本は言った。それから、その旗を踏みつけてポールを砕いた。

この男の力は桁違いだった。ここに何人のメンバーが来ていたのかは知らない。でも、部屋や廊下や、窓の外にいた奴まで全部やられていた。
「さてと、続きをやろうか?」
武本が迫って来た。わたしは逃げようとしたけど、壁際に追い詰められた。
「鬼ごっこは楽しいかい? でも、おしまいにしよう。僕は君をつかまえた。さあ、今度こそ僕のものにおなり」
武本がわたしの肩をつかんだ。

「その手を放せ! 豚野郎!」
平河が武本の襟首を押さえていた。
「ああ、君は確か平河君だったね。ふふ。不思議に思わなかった? なぜ君だけが動けるのかと……。そう。わざと残しておいたんだ。君だけは始末しておこうかと思ってね。僕達の恋路に邪魔だから……」
武本の目が鋭くなった。ヤバイ! わたしは闇の風を呼んだ。ちっぽけな風かもしれないけど、平河だけは絶対に守る。わたしは渦巻く闇を纏って武本にぶつけた。互いの闇が重なり合って家の中を渦巻いた。物が散乱し、ガラスが割れて、カーテンがはためいた。風は一瞬だけ均衡を保った。けど、あっと言う間に打ち砕かれて、わたしは廊下の壁に飛ばされ、背中を打った。

「平河!」
わたしは必死に前に進んで彼を庇おうとした。でも、平河は既に床に伏していた。
「いや! 平河! 起きて!」
強風にあおられながら、わたしがようやく彼の所までたどり着くと、武本は余裕でわたしを抱えた。
「放せ!」

「殺しちゃいないよ。だから、君の部屋のベッドに行こう。ここじゃ落ち着かないからね」
「いやだ! 放せ! この人殺し!」
風に乗ってパトカーのサイレン音が聞こえた。闇の風はまだ吹き荒れている。わたしの手にはまだこいつの体内から流れ出た血がべっとりと付いたままだ。
「いい子だね。静かにして」
武本は手でわたしの口を押さえた。いやだ。やめて! 苦しいよ、やめて……。

ふかふかのマットの上に下ろされた。そこは一度も寝ていないわたしに与えられたベッド……。そして、武本はわたしの上に覆いかぶさった。
だめだ。もう味方は一人もいない。終わりだ。絶望的な気分になった時。廊下を駆けて来る者達がいた。そして、ノックの音がして、すぐにドアが開かれた。そこには忍と二人の警察官が立っていた。

「助けて……」
武本の下からわたしは言った。
「今すぐ、その子から離れなさい」
警察官が言った。
武本がわたしの上から下りる。と、若い警官が彼の体を素早く調べた。

「武器の所持は認められません。それに、傷も視認出来ません」
そう報告を受けた方の警察官は忍を見て言った。
「どうやら、人を殺したというのは君の勘違いのようだね」
忍は涙を流していた。
いったんはへなへなと座り込んだけど、すぐにわたしの方へ来て言った。

「アキラ……大丈夫?」
「うん、何とか……。ぎりぎりセーフで助かった」
わたしはベッドの上に半身を起こして言った。
「よかった……」
忍は両手でわたしの手を取った。わたしも忍の手をにぎり返した。互いの手に涙がからんだ。知らない間にわたしの目からも涙があふれていた。体もガクガクと震えている。ガチャッという金属音が聞こえた。警官が武本に掛けた手錠の音だった。

「彼は君の後見人だと言っているのだけれど、それは本当かね?」
年配の警官が来てきいた。
「確かにそう言いました。でも、わたしは無理にここへ連れて来られました。そして、こんなことされて……。とても怖かった」
警官はうなずいて、手錠の男を連行しろと言った。

武本は入り口の所で立ち止まると、一度だけ振り向いて言った。
「そんなに僕が憎かったの?」
わたしは答えなかった。そして忍も……。
それで、すべてが終わったのだと思っていた。


大蛇神のみんなは気を失っていただけでみんな無事だった。もちろん平河も……。
忍とわたしは少しだけ距離が縮まった気がする。でも、忍は相変わらずのお嬢様だから、いつまで続くかわからないけどね。

日曜には、大蛇神の連中と、プリドラのみんな、それに田中家の人達もいっしょに忍とわたしの生還祝いだと言ってパーティーをしてくれた。といってもマー坊の家だから、全員は呼べなかったんだけど……。大蛇神からは矢崎と平河が来てくれた。双子がクッキーを焼き、皐月さんと矢崎達は差し入れを持って来てくれた。

「ところで、来週、マー坊がこっち来るって」
メッシュが言った。
「じゃあ、久々にメンバーがそろうな。どっかで演奏出来ないかな」
裕也が考え込む。
「駅前のスタジオ、2時間くらいなら借りてやってもいいぜ」
矢崎が言った。

「え? ほんとっすか?」
リッキーが身を乗り出す。
「ああ。こいつのおじさんが経営者なんだよね」
皐月さんが言った。へえ。案外世間って狭いもんなんだね。
「じゃあ、そこで早苗さんの追悼コンサートを開きましょうよ」
忍が言うと、みんなが賛成した。
そうだよ。武本のせいで、早苗ちゃんのこと悲しんでる間もなかった。今度こそ、みんなで早苗ちゃんのために祈ろう。

そして、忍とわたしはリッキーと3人で、この家で暮らすことになった。忍が親戚の家に戻るのはいやだと言ったからだ。それに、わたしだって、いつまでもメッシュの家に世話になっていられないもの。丁度いい機会だった。
それに、わたしがいれば、リッキーがもし忍に対して変な気を起こしても止められるもんね。
共同生活はいろいろ問題はあるだろうけど、何とか助け合って行けるといいな。そして、新たな旅立ちを迎えるんだ。


月曜日。わたし達はそろって学校に行った。
「ねえ、わたし、昨夜じっくり考えたのよ」
朝のホームルームの前、忍が来て言った。
「前にあなたが言ってたこと、今なら少しわかったような気がするの」
「わかったって何のこと?」
「ほら、前に二人で武本先生に呼び出されたことあったでしょ?」
忍は武本という名前のところで少し顔をしかめた。

「あの時あなたが言ったことよ。人はやむない事情で落ちて行く場合もあるんだって……。そして、その立場は簡単に入れ替わってしまうこともある。そういう人達を切り捨てるのが正しいとは言えないかもしれないわね。何でもかんでも自己責任だと言われてしまったら、わたしに救いなんてなかったと思うの」
「それで、少しは反省でもしたって言うの?」
「あら、感謝してるのよ。今回のことでは、あなたに救われたんですもの」
「それはどうも」
わたしはおざなりな返事をした。誰かが飛ばした紙飛行機が黒板にぶつかって落ちる。
次の瞬間。教室のドアが勢いよく開いて先生が入って来た。

「おはよう! 先週は悲しいこともあったけど、今週もがんばって行こうね」
「武本……先生」
忍とわたしは凍り付いたように動けずにいた。
「あれ? 西崎さん、桑原さんどうしたのかな? まるで幽霊でも見たような顔しちゃって……。さあ、席に着いて。出席を取ります」
何で……? どうして武本がここにいるの? だって、あいつは……。

そう。何も変わらなかったんだ。
わたし達の力では渦潮の流れを変えることなんて出来なかった。

武本は書類上、やっぱりわたしの後見人になっていた。でも、もう無理に自分の家に連れて行こうとはしなかった。
「でも、定期的な報告はしてもらうよ。義務としてね」
そして、強引なことはしないと約束した。今はそれを信じるしかない。相手は闇の風の能力者で、警察にも学校にも権力を持っている。だったら、したたかにやり過ごすしかない。
あと半年がまんすれば担任でもなくなるし、美術の授業も終わる。忍も熱が冷めたみたいだしね。

でも、夜の狩りはやめられなかった。早苗ちゃんが死んで、もう急いでお金を集める必要はなくなった。でも……。当面はわたし達3人の生活費を稼ぐためという建前はあった。
わたしは毎晩、大蛇神のみんなと行動した。
リッキーも仲間に加わり、忍も同行するようになった。
「もう、おまえがそんなにがんばる必要ないだろ?」
平河が言った。

「忍まで引きずり込んで何やってんだよ」
裕也も言った。
でも、別に引きずり込んでるわけじゃない。忍が勝手に付いて来てるんだ。矢崎のバイクに乗せてもらうために……。

わたしは平河のバイクに乗って、みんなに指示を飛ばす。
何十台ものマシンがわたしの言うことをきいて走る。
夜は明かりがきれいだよ。
縦列も横列も自由自在だ。
夜は漆黒の翼を広げた隼みたいに駆け抜ける。
それぞれの胸に抱えた悩みを燃やすランタンを灯して……。
その灯火が消えるまで、わたし達は走り続ける。

「僕は待つことにしたよ。君がもう少し大人になるまで……。それまでは、君を自由にしてあげる。だけど、約束して。18になったら僕と結婚すると……」
武本が言った。冗談じゃない。こんな奴の思い通りになんかさせるもんか。
わたしは闇の風を使いこなすための訓練を始めた。あいつよりも強くならなきゃ……。あと5年。それまでにお金も貯めて独立したい。そのためにも狩りはやめられない。

落ちて行くのだとわかっている。
それが犯罪なのだということも……。
でも、やめることなんか出来ないんだよ。
ねえ、ローレライ……。あんただってそうだったんでしょう?
自分が落ちて惨めになるとわかっていても……
襲わずにはいられない。
わたしも彼女の悲しみを知っている。
だから襲わずにはいられない。
水底に沈むローレライのように……。

渦潮の底で、あなたを待っていたの。

ターゲットは……。ノアンというクラブから出て来た男。一人きりで駐車場へ向かっている。わたしは仲間に合図を送った。
渦潮の底で……。
男が車のドアに手を掛けた時、影が一斉に躍りかかった。そして、沈める。もう何十人、何百人もそうして来たように……。
わたしは歌う。空しいだけの風の渦を纏って……。


Fin. Thanks for reading.